2024.02.04
ユブネ5周年インタビュー「ユブネについてわかった10の事柄」
杉本恭子さん
ユブネ(山森彩・東善仁)さん
2023年10月1日、合同会社ユブネは創立5周年を迎えました。
まずはお祝い申し上げたいと思います。ブラボー!おめでとう!!
思えば、ユブネのおふたりと出会ったのはもう10年ほど前。『greenz.jp』のライター仲間としてでした。そういえば、東さん夫妻の結婚式(茶山台団地での「団地ウェディング」)の記事も書いたっけ……。こうしてまた大切な節目に呼んでいただき光栄至極、という気持ちでキーボードを叩いております。
ユブネって「いつも面白そうなことしてる」という感じ、ありませんか?
わたしは、彼らのすごいところはそこだと思っています。「いつも面白そうなことをしてる」って、実はそんなに簡単じゃない。むしろ、真面目でいるほうが楽なことだってありますからね。
とか言いながら、わたしはどっちかというと真面目、いえ、生真面目な芸風なのです。
「ユブネを紹介する」というお題もまた、生真面目に受け止めてインタビューに臨みました。インタビューの場所は、ユブネの拠点のひとつ塩屋にある旧グッゲンハイム邸。窓を開け放つと潮風がさわやかに吹き込んできます。時おり、ガタンコトンと線路を響かせる電車の音、二階からは子どもが弾くピアノの音も……。というような、いい湯かげんのなかで行われたインタビューからわかった10の事柄について、やっぱり生真面目に書いてみたいと思います。
さあ、みなさんお風呂の準備はよろしいですか?
1.ユブネはチームバランスが最高に心地いい
ーー「ユブネって何をしている会社ですか?」をどう説明していますか?
東 Webサイトに書いてある文言を言うことが多いですね。自治体や企業、学校などのプロジェクトに伴走して、最終的には地域やメンバーが自走できるように主体・主役を受け渡していくことを得意としている、みたいな。
山森 たとえば、3年くらいのスパンで取り組む地域のお仕事だと、1年目はプロジェクトを企画しつつ地域の人たちと関わりをもち、2年目からはプロジェクトを手渡していく準備期間として地域の人たちに伴走して、最後は自走してもらえるようにしています。私たちは、とにかくそこに住んでいる人たちをいかに巻き込んで、主体としていくことがキモだと思っています。
東 もうひとつは、「方向性は決まっているけど、ゴールに向かう道筋がわからないという相談に応える仕事を得意にしています」という答え方もしています。
ーーそういう仕事は得意であると同時に、ふたりにとって楽しい?
東 楽しいですね。なんで楽しいんやろ?
山森 私は、チームとしての心地よさが一番発揮できている仕事なのかなと思っていて。東さんがプロジェクトを企画・設計して、私はプロマネとして実際につくっていくというチームバランスの気持ちよさがあるかな。
東さんは、ゼロ・イチでプロジェクトを立ち上げていく設計力があるんです。「ゴールに向かう道筋」を描くのが上手で、見えないものを見せてくれる力がある。なおかつ、ストイックすぎないのもいいところで。プロジェクトに関わる人の行動や気持ちを想定してものごとを整えすぎず、ちょっとした歪みを許容しながらちゃんと設計できる人なんだなといつも感じるんですよね。そのプロセスを一緒に走っていくのが楽しいです。あと、東さんが設計したワークショップをするときも、終わった後の爽快感があって、それを共感できるのも心地よいです。
2.ユブネは言葉にできないやさしさを大事にしている
ーー話を聞いていると、おふたりには何かしら共感しあえることがあるのかなと思います。
山森 言葉にできない部分にある、最後まで大事にしたいやさしさみたいなものが一緒という感じがします。それは、人生の話をしているときによくわかる。子どものことや夫婦のこと、「これから会社どうしていく?」みたいな話をしたときにいつも、「そやんな!」と気持ちのいいところでストンと落ちるんです。
東 たしかに。このふたりでやっていたら、行きたい方向を踏み外しはしないだろうなという感じはあります。なんやろ?暮らしが大事なんちゃう?
山森 2019年秋に、会社のコンセプトを表現するWebサイトをふたりでつくったやん? あれをふたりで完成させたときの違和感のなさはすごいなと思いました。ほかの誰とも一緒にはつくれない何かが、あのメッセージには込められているんですよね。
東 Webサイトのテキストは、実は9割は山森さんが書いたんです。創立時からずっと温めていたユブネのコンセプトを、山森さんが客観的かつ実感のある言葉にしてくれました。今思うと、あのWebサイトが出発点でよかったなと思っています。
山森 私はそういうメッセージを書くのが苦手やと思っていたけど、コンセプトを言葉にする楽しさを知りました。それもまた、ふたりでやったからこその気づきだったかもしれません。ほんまに一緒に仕事をやるパートナーなんやなっていう感じがしました。あれ? なんかめっちゃいい話してるやん(笑)。
ーー家族とも友だちとも違う、仕事における、人生最高のパートナーとの出会いってあるんですね。聞いてたらなんかうらやましくなってきました!
3.ユブネは10年後に解散する(あくまで予定)
ーーおふたりにとって「暮らしが大事」というお話もありましたが、会社設立当時はお互いの人生も含めてどんな5年後を思い描いていたんですか?
山森 創業したときに、ふたりで「5年、10年、20年後に会社としてどうなっていきたいか」を書こうとしたら全然出てこなかったんですよ。それで、「もう、10年で解散しよう」って決めたら楽しくなりました。わからへんことはわからへん。結局白紙のまま「10年やってみよか」の半分まできました。延長するかもしれんけど(笑)。
ーー10年で解散って、どこかのバンドみたいな……。
東 そう!そういう感じにしたかったんですよ。僕、バンドみたいなノリの会社しかでけへんなと思ってて。組織をつくってチームにして、みんなが幸せになるみたいなんは無理やけど、3ピースバンドくらいで、10年後に解散だー!みたいなんやったらいけるかも?という感じなんです。
山森 もしかしたらとうわ(注:東さんの息子さん)の小学校卒業くらいのイメージもあったかもね。子育てからもちょっと手を離せるし。
東 僕たちは、結婚と出産のタイミングが1年違いだから、10年ってわりと一区切りのタイミングになると思います。たぶんライフステージがガラッと変わるから、そこで立ち止まってもいいんちゃうかな、と。今は、10年間でできることを考えながらやることの優先順位も決めています。
ーー今も、10年という区切りは意識しているんですね。
山森 10年後までに自分がやっておきたいことを、できている自分になりたいみたいな感覚はあります。
東 僕は、もうちょっとサッカーと絡みたいとか、スポーツに関わる場づくりをやってみたいと思っていました。
山森 私は、メンタルを含めた健康について考えたいみたいなふわっとしたテーマがあります。なんとなく、ふたりともそこに向かっているのかなと思います。
4.ユブネは仕事を愛でながら育てている
ーー今までのお仕事のなかで、ユブネの得意とするところが生かされたなと思うものは?
東 ひとつは、2019年から3年間やっていた、兵庫県立大学の学生向け広報誌を創刊する仕事かな。「365日×4年=1460日、自分が主役になるための」をコンセプトに、新入生配布用のタブロイド『1460(イチ・ヨン・ロク・レー)』を4号発行しました。県立大の広報担当の先生と広報課、ユブネの三者の話し合いのもとで進められたので伴走感があったし、「一緒に編集部をつくって受け渡した」という感じもあったので、ユブネっぽいなと思っています。
山森 『1460』は、東さんが名前をつけてくれた子どもを愛でながら育てられた実感があります。私はプロマネとしてクライアントとの関係づくりや制作チームとの連携、東さんはコンセプトをしっかり守るプロデューサーという役割分担もちゃんとできていて。いいチーム感でものづくりをできました。もうひとつは、2022年度から神戸市西区まちづくり課から委託を受けたプロジェクト「西神中央クロッシング」です。
西区には、農村的な地域資源とニュータウン的な地域資源が共存しています。その両方の資源のよさを活かしあうまちづくりを目指して、人々が出会う場づくりを企画しています。大きな枠組みとしては、住民による実行委員会をつくって、西神中央公園でイベントを開くことに伴走するという設計です。
東 いちおう「西神中央クロッシング」というタイトルは僕がつけたんですけど、山森さんは地元人脈がすごいから、メインディレクターをやってもらったんです。
ーーお互いに、いつもと違う役割を担ってみていかがでしたか。
山森 「西神中央クロッシング」は、私がゼロから企画をつくったプロジェクトです。東さんを数年間見てきて鍛えられている部分もあったんだなと感じられました。おかげさまで、いろんな地域から「うちも『西神中央クロッシング』みたいなことをやりたい」という声をいただいています。
東 山森さんが自分の人脈を総動員した豪華ラインナップで仕上げていくので、知らないうちに企画づくりやブッキングが終わっていたりして。でもそこに丁寧な設計意図がある感じがよかったですね。ユブネとしてのレベルがひとつ上がったなと思うし、神戸の会社として神戸の仕事をやった感じもあります。実際に、「西神中央クロッシング」を見ていた神戸市の地域協働局から地域を考える職員向けワークショップのオーダーが来たんです。西区役所の人も「ユブネに依頼したらいいんじゃないか」と推薦してくださったそうです。
このワークショップは、神戸市を交えてふたりでプログラムを考えました。お互いに違うファシリテーションの方法をもっているので役割分担しながら、ふたりのキャラや持ち味の特徴をうまく出せました。行政職員を対象とするワークショップもユブネでできるなと思いましたね。だんだん、自分たちにできる仕事が育ってきている感じがあります。
ーーこの5年間は、ユブネが神戸の会社として神戸のまちに染みていく時間でもあったんですね。次の5年は、ユブネが神戸をつくるスタメンになるんじゃないかと思うとワクワクします。
5.ユブネのワークショップは予定調和がない
ーーワークショップもユブネが得意とする仕事のひとつなんですね。
東 兵庫県立御影高校でカリキュラムデザインのコーディネーターをしているのですが、その仕事のスピンオフみたいな感じで、ユブネで3時間くらいの授業をつくったんです。
ーー高校生と一緒に、どんなワークショップをしたのですか?
東 僕たちがやっていることを可視化しつつワークショップ化してみようと、「編集」を8つの要素に分解して、8つのテーブルで要素ごとのワークショップを同時に行って結果を発表してもらいました。たとえば「分けて考える」は洋服を分解してみる。「あるものの形式を変えてみる」では校歌をラップにして発表してもらい、「見立てる」ではクラスをアイドルグループとしてどう売り出すか。「正反対のものを組み合わせる」では、豆腐と釘でゲームをつくるとか。高校生の発表を見て「編集」はすごく楽しくできることなんだと再確認しました。
山森 高校生のエネルギーがすごくて。我々が意識しないとできないことを、その場ですっとできてしまう柔軟性には学ぶところがありました。なんでもかんでも型にはめて考えて、仕事をルーティンにしたらあかんなぁ、と。
ーーほかにはどんなワークショップを?
山森 この間、「西神中央クロッシング」では、チラシづくりのワークショップをしました。地域活動をするときに、例えば20〜30代のママ世代はSNSでどんどん発信できるけど、それ以上の年代にはまだまだチラシ文化が根づいています。「西神中央クロッシング」は、区役所のなかにある地域活動支援コーナーを稼働させるための取り組みでもあるので、そこにあるリソグラフの印刷機を有効活用するとっかかりとして、自分たちでチラシをデザインしてつくるワークショップを企画したんです。
東 印刷は一色刷りなので、できたチラシを20部ずつ刷って各自持ち帰ってもらい、スタンプを押したり蛍光ペンでなぞったりオリジナルに仕上げて、西区内で配りましょうという仕掛けでした。参加者は10人以上いたから、200パターンくらいのチラシがまちに散らばっていると思うだけでワクワクします。その場その場で広がっていく、予定調和じゃない感じが楽しいですね。こういう仕事を重ねたら僕らは幸せやし、そう思える仕事を次々につくっていこうと思いました。
山森 今、仕事がすごく楽しいのはそういうことかも。
6.ユブネはけっこうあきらめない
ーー一緒に仕事をしていて、お互いに「相手のここがすごい」と思っているのはどんなところですか。
東 山森さんは、けっこうあきらめないんです。プロマネを得意にしているからそういうふうに見えないと思うけど、めちゃくちゃ負けず嫌いで、そのファイティング・ポーズがすごいなと思います。クライアントの無理難題を心地よく打ち返したり、僕に負担がかからないように先に手を回していたりとか、そういうところでめちゃくちゃ戦っていると思う。一緒に仕事している人たちをリスペクトしているから、全員を守りたいという気持ちがすごく強い。たぶん、クライアントもそこに巻き込まれて心地いいと思います。
ーーまさにユブネのように心地いいんですね。山森さんは?
山森 さっきも言ったけど、やっぱりゼロイチの設計力ですよね。それは東さんが、他の人と違う道を見つけようとして「俺なりにできることはなんやろ?」とあきらめずに考えてきた結果なんやと思います。
東 たしかに。社会人になって転職をして、壁にぶち当たってものすごい暗黒時代を経てからのV字回復をしてるから、言われてみたらそうかもしれない。
ーー山森さんの「あきらめない」とはまた別な意味で、東さんも「あきらめない」。
山森 東さんは、前職で会社員としては無理やったけど、個人事業主として仕事を受注するようになってからキラキラしだしたって言ってたよね。それって、今までにない前例をつくっているんですよね。東さんのエネルギーなのか、周りの人たちが助けてくれるのか、無理かもしれないところから活路を見出せる力がすごくあるんだと思う。その、今のかたちがユブネのような気がします。
東 幸せな人ですね、僕は(笑)。結果として、やりたいことがいろいろかなっているんだよなぁ。「バンドやりたい」と思っていたら、声かけた人がたまたまスチールパンをやっていてメンバーになったりして。人生にスチールパンがあってよかったこと増えたしなぁ。
山森 東さんは「やる」と決めたときの実行力がすごいなと思います。「それ、ほんまに儲かるん?」みたいなことにもグイッといく。実際、あんまり儲からなかったりするけど(笑)お金ではない別の結果を得られていたりして。
東 よく言うんですけど、僕はずっと「文化祭の前日」でいたいんです。準備でヘトヘトやけどアドレナリン全開で、終わってほしくない感じ。はじまってないけど、まだはじめたくないみたいな感じで過ごしたいから、次から次へと「こんなことしたらどうかな」とはじめてしまうんです。
ーーふたりと話していると、「なんでわたしたちは簡単にあきらめるんだろう?」って気分になります。もしかすると、しあわせってあきらめないことからはじまるのかもしれない。
7.ユブネは駄菓子屋にも劇場にもなる
ーーそれぞれに、これからユブネとしてどんなことをやりたいですか?
山森 ユブネとしてになるかどうかはわからないけど、「駄菓子屋のおばちゃん」になりたいってずっと言っているんです。あくまでイメージなんですけど。たとえば、病気になったときに自分に合う治療方針が見つかったり、心が傷ついているときに誰かのちょっとしたひとことをもらえることで、立ち直れる人生っていっぱいあると思うんです。
私自身がそういう経験をたくさんしてきたから、今しんどい状態にある人たちが元気になるきっかけに出会える通過点みたいな、寄り道をしてちょっと楽になれる場所をなんとかつくれぬものかとここ数年ずっと考えています。それが何なのかはまだ見えていないけど、ユブネの間に実現したいと思っていて。それを例えるなら「駄菓子屋のおばちゃん」のような存在が近いのかなぁ。
東 やってみたらわかるんちゃうかな。こないだちょっとやってみたんだよね。
山森 三宮にある友人のお店の軒先で駄菓子屋をやってみたんです。そのときも、私が気になるのは、お店に入ってきて遊んでる子どもよりも、お母さんたちのことなんですよ。「どうぞお店の中で一緒に遊んでください」と言っても遠慮しているお母さん、「この人はどこで本音を話せているんだろう?」という感じのお母さん。いや別に、お節介なんですよ。でも、そういうお母さんが心地よくいられる場所があれば、その人の居場所の面積がまちに増えるじゃないですか。そういう場やしかけをつくりたいなぁと思っています。漠然としているんですけど……。
ーーすごく漠然としているけど、すごくはっきりしていますね。
山森 そうなんです。そういう場をつくってそこの主になりたいです。それは、今住んでいる塩屋のまちの人たちのおかげかもしれません。自分が与えてもらえた、触れさせてもらったこおまちの空気を再現してみたいのかな。人と人の距離が近いからしんどいこともあるけど、嘘がない関係性のなかにいる楽ちんさみたいなのを、もっといろんな人に知ってもらいたいです。「来てよかったわ。楽になったわ」と思ってくれたらそれでええわ、ということをやりたいです。
東 僕もいくつかあるけど、さっき話したサッカークラブを手段とした場づくりをしてみたくて。妻の恭子さんとやっているフリーペーパー専門店「只本屋島根浜田店」のほうで、島根県石見地方のチームの少額スポンサーになって、島根県立大学の学生と一緒に出店しています。そこをもうちょっと広げて、地域コミュニティとサッカークラブというテーマで何かやりたいですね。
もうひとつは、たまたま近所にサイクルサッカー(注:自転車を用いて行う球技)の日本代表の友人がいて。サッカークラブの仕事を無償ボランティアで手伝いはじめているんです。彼はユブネのネーム入りユニフォームを、ドイツで行われた世界選手権で着てくれました。そこから何か広がっていかへんかなと思っています。
ーーふたりとも、マイ・プロジェクトを「ユブネでやりたいこと」として語るのが面白いです。
東 ほんまやな。さっき、山森さんに「儲からないことに突っ込んでいく」って言われていましたけど(笑)。僕は学生時代からやっていた演劇について、当時の自分の向き合い方の不誠実さにコンプレックスをもちつづけているので、どこかでもう一度向き合いたいなと。劇場をつくりたい気持ちもあるんです。めっちゃ田舎でやってみたいですね。僕の実家のほうにそういうものをつくって、米づくりとかも全部セットでやれたらいいなぁ。欲ばりやなぁ。
山森 へー!知らんかった(笑)。でも、ふたりとも「場」をつくりたいんやね。
8.ユブネは“拡張”を目指している
ーー駄菓子屋も劇場も、マイプロジェクトのようで、仕事でもあるような感じがしています。ふたりにとって「仕事」「働く」ってなんですか?
山森 食べていくためにお金を稼ぐ必要はあるけれど、なんやろう?仕事……
東 僕はずっと技術職になりたいと思っているんです。ライター向けのワークショップでも、表現力ではなくて、伝えることによって変化を起こす技術として教えています。まちづくりにおいても、プロセスをつくる技術職として、たしかな変化を起こすことが成果だと考えています。
ここ5年くらい「人生は借景である」と言いつづけているんです。借景というの庭園が遠くの山の景色と重なって完成するようなこと。僕は山森さんの借景で、山森さんは僕の借景になっていて、そのふたつの景色を合わせると完成するステージがある。地域の人、クライアントとの間でも、お互いの借景になれる機会をつくるのがユブネの仕事のような気がします。
山森 なるほどね。私が思っていることも近いかも。私は、みんなが最後に「気持ちよかったなあ」と湯上りみたいに思えることが仕事だと思っているかもしれません。
東 5周年を迎えて、僕が勝手に決めたテーマは「ユブネの拡張」なんです。いろんなことを「ユブネ」という冠でやっても面白いなと思っています。
ーー会社としてのユブネだけでなく、いろんなユブネがあってもいい。
東 そうそう。駄菓子屋としてのユブネがあってもいいし、劇場としてのユブネがあってもいい。
山森 東さんを見ていると、生き生きするポイントがあるんやなと思います。やっぱり企画しているときが一番生き生きしていますよね。
東 借景なので、組み合わせなんです。「これとこれを組み合わせて、こうなると面白いな」というのを楽しんでいます。どう転がるかわからないけど、面白くなりそうな可能性を信じたい!そのせいか、リスクヘッジ型のディレクターさんやプロデューサーさんとはあんまり合わないんです(笑)
ーー山森さんは、そんな東さんをできるだけ自由にさせてあげたいと思っている?
山森 私は、「好きにしていいよ」って常に言ってあげたいんです。私自身にそのキャパシティが足りないときにストレスを感じますね。「東さん、どうぞ!」って好きにやってもらって、いい感じになったらそれが一番楽しいし、私も気持ちがいいです。
東 山森さんは、自分が大事にしている人たちが生き生きしていると、すごくうれしそうだよね。あと、人の話をするときめちゃめちゃ楽しそうなんです。「この人知ってる?」って誰かを紹介してくれるときなんて、目がキラキラしています。
ーーたぶん、普段からお互いにやりたいことを話しているからなんでしょうね。「やりたいこと」を語る言葉がすごく豊かですよね。それに、お互いに相手が「やりたいこと」をしている姿を「いいなあ」と思って見ていますよね。その眼差しの交差によって育まれるものがあるんだろうなと思いました。
9.ユブネは「湯」かもしれない
ーーここまでお話を伺ったうえで、あらためて聞いてみたいんですけども。ユブネってどんな会社ですか?
東 ユブネは会社ではありませんねえ、あははは(笑)。
山森 ちゃうなあ。ユブネって、湯船(いれもの)とお湯(いれるもの)があるじゃないですか。私たちは湯船の方かなと思っていたけど、お湯の方かもしれません。「会社だから利益を生み出さなければいけない」とか、「こうあるべき」をふたりともがもっていないから、形のないものなんやなと思う。
ーー会社でもあるし、何らかのユニットでもあり、お互いにマイ・プロジェクトのメンバーでもあり、唯一無二のパートナーシップでもあり、それがすべていい湯加減であるというか。
東 「記録」じゃないかな。僕と山森さんの10年を「ユブネ」と呼ぶ、みたいな。
山森 すでにある「何か」みたいじゃないんですよね。だから、他の人は「ユブネとは何か」をいつまで経っても説明できないんです。
ーーだけど、どういう仕事をユブネに頼めばいいかはわかる気がします。
山森 それについては、最近やっと理解されるようになったなと思います。
東 たぶん、そういう感じでやりたかったんだと思います。もともと、会社を登記したのは「人生で一度くらいは登記しておきたい」という理由もあったぐらいなので。めちゃくちゃ成長してタワマンの最上階にオフィスを構えてもいいだろうし、昔のドライブインみたいなオフィスにしてもいいかもしれない。保育園や農園を経営してもいいかもしれないし。僕らであればなんでもいいと思うんです。
10.ユブネには明確な境界線がない
ーー自分たちの人生と仕事の一体感もユブネの特徴なのかなと思います。
東 ユブネを設立してすぐに僕が産休と育休に入って、実質的に最初の一年は山森さんひとりだったっていうのもユブネらしいんやけど。
山森 そして、翌年11月くらいから今度は私が産休に入って、1年くらい休んで。2020年12月に復帰しました。
東 だから、最初の2年はお互いに持ち寄った仕事をしていて、一緒にプロジェクトを動かすようになったのは途中からなんです。
ーー今、おふたりのお子さんは5歳と4歳になりましたね。家族と仕事の関係は?
東 ユブネはふたりだけど、ふたりの家族を含めた6人いる感じがあります。別に6人で食事会を頻繁にしているわけでもないし、一緒に何かをやるわけではないんだけどね。
山森 プロジェクトを終えて打ち上げするときや、忘年会をするときには必ず「家族に感謝する会にしよう」という話が出ます。会社としての事業の話をするとしても、家族の話との境界線は全然なくて。家のことについても、家族のなかだけで着地することはあまりないです。直接顔を合わせていなくても、常に6人で話し合っている状況はあるかもしれません。
ーーふたりの会社だけど、ユブネ対クライアントみたいな構図がないというか。一緒に仕事をつくる人たちとの壁があまりない印象も受けました。ふたりがいて、家族がいて、地域の人たちや友達、仕事をともにする人たちとなだらかにつながっていくというか。
東 そう言ってもらえるとうれしいです。
山森 ユブネのビジョンには「ユブネは、あらゆる関係性やものごとが グラデーションを描き、 ゆるやかにつながればと願っています」って書いたんですよね。
東 ユブネ&フレンズ、みたいな感じかな。
ーーユブネの周りには有機的な関係が広がっていくのだろうなと思います。10周年を迎えるときに、ふたりがこのインタビューをどんなふうに振り返るのか楽しみにしています。
(2023年11月 塩屋にて 取材・構成:杉本恭子)